マリー・アントワネット
1755年、オーストリア女帝マリア・テレジアの娘としてウィーンで生まれる。14歳で、後にフランス国王となるルイ16世と結婚し、18歳で王妃に。詐欺に巻き込まれた「首飾り事件」で人気が失墜。93年に革命裁判により断頭台で処刑される。
ART
2023.03.24
1755年、オーストリア女帝マリア・テレジアの娘としてウィーンで生まれる。14歳で、後にフランス国王となるルイ16世と結婚し、18歳で王妃に。詐欺に巻き込まれた「首飾り事件」で人気が失墜。93年に革命裁判により断頭台で処刑される。
漫画『ベルサイユのばら』でもおなじみの王妃マリー・アントワネット。その死から200年以上が経ちますが、現代もファッションアイコンとして人々を魅了しています。
当時、フランス宮廷のファッションは文化的にヨーロッパでもっとも重要な地位にあり、王族の肖像画は外交に利用され、さらに流行を伝えていました。女流画家ルイーズ・ヴィジェ=ルブランが描いた23歳のマリーの肖像画を見て、西洋では誰もがマリーのファッションや髪型全般をまねしました。
©Alamy / Cynet Photo
若くして王妃となったマリーは退屈さと孤独を紛らわすように、ビーズや刺しゅう、リボン、フリルのついた装飾過多のドレス、きつく締めたコルセット、大きく結い上げた髪型など、豪奢なファッションになっていきました。それは「ロココスタイル」と呼ばれて当時の流行となりましたが、彼女の浪費癖は批判の対象にもなりました。そこでマリーを庶民に近づけるため、ヴィジェ=ルブランによって『モスリンのシュミーズドレスを着た王妃マリー・アントワネット』が描かれ、今度は体を拘束しないドレスが貴族や上流階級の間で大流行しました。
華やかな生活で財政を圧迫したマリーは革命派に捕らわれ、ドレスや宝石すべてを奪われ、処刑されました。すべてを失いながらも、彼女が好んだファッションやスタイルはその波乱万丈な一生とともに、今も多くの女性の心を惹きつけています。
©Alamy / Cynet Photo
マリー・アントワネットは、現代のデザイナーたちもインスパイアしています。マリーが好んだロココ調の飾り、パニエやコルセットを使ったドレス、マカロンカラーは、モスキーノやレッド ヴァレンティノがコレクションのテーマに。ソフィア・コッポラ監督の映画『マリー・アントワネット』の愛らしい装いやアイテムは、多くの女性をときめかせました。
Text:森 菜穂美