原節子
1920年、横浜生まれ。14歳で日活から映画デビューし、16歳のときに日独合作映画『新しき土』のヒロイン役に抜擢される。戦後、トップ女優の地位を確立したが、62年に映画2本に出演したのを最後に事実上引退し、公の場から姿を消した。2015年逝去。
ART
2023.01.27
「東京物語」 (1953年)監督/小津安二郎 写真提供/松竹
1920年、横浜生まれ。14歳で日活から映画デビューし、16歳のときに日独合作映画『新しき土』のヒロイン役に抜擢される。戦後、トップ女優の地位を確立したが、62年に映画2本に出演したのを最後に事実上引退し、公の場から姿を消した。2015年逝去。
気品あふれる美貌で数々の名作に出演した女優、原節子。42歳で銀幕を去ってから亡くなるまで隠遁生活を送り、伝説的な存在となりました。大きな瞳と彫りの深い顔立ち、長身ですらりとした節子は、容姿の美しさだけでなく、内面からの輝きが感じられる女性でした。
経済的に困窮していた家族を助けるために、義兄の映画監督・熊谷久虎の勧めにより14歳で映画界へ。暇があれば本を読み、着飾ることより内面を磨くことに重きを置きました。16歳で日独合作映画『新しき土』のヒロイン役に抜擢され、宣伝のために半年間ヨーロッパや北米を旅しました。当時の日本と違い、映画人が芸術家として尊敬され、女性が大切にされている様に影響を受け、女優という職業に誇りを持つようになりました。
『東京物語』などで節子はシンプルな装いに身を包み、清楚で慎み深い女性の役で人気を得ました。しかし、彼女はイングリッド・バークマンに憧れ、受け身ではなく自分で人生を選ぶ女性を演じたいと願っていました。残念ながら実現しませんでしたが、信仰を貫いた強い女性、細川ガラシャ夫人役も演じたいと熱望していたそうです。
©Alamy / Cynet Photo
▲節子が憧れたバーグマンは、気高さと知性を感じさせる女優として人気だった。
若さや美しさだけが求められる映画界に失望したのも、引退の理由の一つと言われています。しかし、その内面からにじみ出る輝きは時代を超えて私たちを魅了し、日本映画史上もっとも美しい女優として銀幕にその姿を刻んでいます。
©朝日新聞社 / Cynet Photo
原節子自身は派手な服装は好まず、無彩色のシンプルな服を愛用しました。小津安二郎監督作品『麦秋』で演じた紀子役は丸の内で働く女性で、シックなワンピースやシャツ姿が洗練されており、戦後職業を持ち始めた女性たちに大きな影響を与えました。やはり働く女性役の『東京物語』での白いブラウスにスカート姿もシンプルルックの美しさを体現していました。
Text:森 菜穂美