竹久夢二
1884年岡山県生まれ。18歳で上京し、早稲田実業学校で学ぶ。独学し、画家、詩作家として知られるようになり、作詞した「宵待草」が大ヒット。一世を風靡した美人画をはじめ、小物や装丁などのデザイン、広告の分野でも活躍する。1934年、49歳で逝去。
ART
2022.07.29
竹久夢二美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
絵画に描かれた美しい人々、装い、ヘアメイクの中には現代を生きる私たちの美の感性を刺激するヒントがたくさんあります。
今回は竹久夢二の描いた女性像に迫ります。
1884年岡山県生まれ。18歳で上京し、早稲田実業学校で学ぶ。独学し、画家、詩作家として知られるようになり、作詞した「宵待草」が大ヒット。一世を風靡した美人画をはじめ、小物や装丁などのデザイン、広告の分野でも活躍する。1934年、49歳で逝去。
抒情画で一世を風靡した大正ロマンの画家・竹久夢二。華やかな女性遍歴を誇りましたが、中でも彼の作品に影響を与えた三人の女性たちは、憂愁を帯びた大きな瞳、細身でなだらかな曲線の持ち主でした。彼女たちとの出会いを通して、彼は「夢二式」と呼ばれる美女を描いた作品群を生み出し、人々を魅了したのです。
夢二が唯一結婚した女性、岸たまきは、人が振り返るほどの美貌で、大きな瞳とほっそりとした柳腰の持ち主。出会った2カ月後には結婚しますが、後に離婚。同居別居を繰り返しながら三人の息子が誕生しました。
朝日新聞社 / Cynet Photo
大正三年、夢二は自身がデザインした半襟や羽子板、絵草子を取り扱う「港屋」を開きます。そこで夢二は画学生であった18歳の笠井彦乃に出会い、熱烈な恋に落ちます。周囲に反対されながらも、11歳差の恋は燃え上がり、彼女は夢二の「最愛の人」だったといわれています。
彦乃はわずか23歳で亡くなり、夢二は絵筆が取れないほどに落胆しますが、その後、天才的なモデルお葉に出会い、夢二好みの美を体現する彼女によってさらに充実期を迎えたのでした。
記事冒頭の作品「APL・FOOL」(竹久夢二美術館蔵)が描かれた大正15年、夢二は三人の女性とは別れていましたが、絵の女性には夢二好みの大きな目、S字の曲線などの特徴が表れ、その優美な姿は、現代女性も憧れるようなたおやかさに満ちています。透明感あふれる肌、印象的な目と口元はメイクの参考にもなるでしょう。
朝日新聞社 / Cynet Photo
夢二が活躍した当時は洋装の女性も増え、和装の着こなしにも変化が生じた時代です。彼がデザインした半襟などの小物は人気を博し、女性たちは和装を着こなす際に夢二のセンスを参考にしました。さらに、夢二式美人をまねて化粧、しぐさなどでなりきろうとする女性たちも現れたそう。優美なしぐさやセンスのよい小物使いは、現代女性にとっても参考となります。